1975-03-24 第75回国会 参議院 予算委員会 第14号
あわせて、最高の地位にあった総括責任者である白井教育長が、ここにありますように、委員会月報にも明白に記載されている中で、昭和四十七年、私は部落解放同盟に身柄を預けます、解同委員長の指導を受けて今後の教育行政を進めてまいりますと言っておる。そのときから問題は始まっておるのです。課長が教育長の承認もなくてそんな偏向的な演説ができるものじゃない。ここに兵庫県政の根源がある。
あわせて、最高の地位にあった総括責任者である白井教育長が、ここにありますように、委員会月報にも明白に記載されている中で、昭和四十七年、私は部落解放同盟に身柄を預けます、解同委員長の指導を受けて今後の教育行政を進めてまいりますと言っておる。そのときから問題は始まっておるのです。課長が教育長の承認もなくてそんな偏向的な演説ができるものじゃない。ここに兵庫県政の根源がある。
○説明員(奥田真丈君) ただいまのお話は昭和四十七年の四月のことではないかと思いますが、兵庫県の教育委員会の報告によりますと、四十七年の四月の六日、七日に白井教育長が糾弾会に出席したのは事実でございます。
ただいま御指摘の但馬の教育事務所長の発言の問題でございますが、実は先週金曜日、二十二日に兵庫県の白井教育長を呼びまして、このことにつきまして厳重に注意をいたしてございます。兵庫県教育長といたしましては、但馬の教育事務所長の発言は穏当でないということを認めておるのでございます。そうした立場を兵庫県教育委員会としてはとっておるわけでございます。
私どもが得た情報によりますと、白井教育長、杢谷教育次長等は二十三日に現地へ行ったやに聞いております。